結婚式に行けなくなった。

近々、地元の友人の結婚式に出席する予定だったのだけれど、コロナ・ヒステリーが昂じて出席することができなくなった。

当該友人は地元の公僕としてネバギバの精神で頑張っているのだけれど、どうやら当該自治体より県外の人間との接触を避けるようにとの通達みたいな感じのニュアンス的なものが発出されらしく、早朝に届いたメール(私はLINEみたいな感じのニュアンス的なアプリケーションを滅多に使わない。昨年、ようやっとインストールした。)には出席してもらうことが難しい旨の電子文字が並んでいた。

まじで京都人なめとったらあかへんどす、と京都人でもないのに京都が好きな私は地元の自治体が県外の人間を汚物扱いするそのスタンスみたいな感じのニュアンス的なアティテュードに怒りを覚えた。というのは嘘であるが、まぁ、ちょっと残念な気持ちになっちゃった。

友人が結婚をし、その結婚によって充実した日々を送るのであれば、よかったじゃんけ、と言いたくなるのだけれど、私は結婚式というのがよくわからない、結婚式にたいそうな価値を見いだせない類の人間で、結婚式にあれほどの人員と人々の時間とお金を投じる価値というのは本当にあるのだろうか? 出席者の中に心からガチのムチでおめでとうと思ってくれている人は実にほんの一握りなのではないか? どうして私たちは結婚しました、これから幸せな生活を営んでいくぽよ、父さん母さんありがとなー、ということをわざわざ壮大な舞台装置を用意し、わざわざ大勢の人前で言う必要があるのだろうか? やりたかったら家でやればいいものを恥ずかしくないのだろうか? ということを考えてしまう人間で、要するに世間で言うところのゴミ人間なのだけれど、まぁそれはそれで仕方がないとして、私のそのようなゴミ人間的側面からすれば、此度の結婚式が私にとっては実質中止になったということは、さほど価値を見いだせない活動から開放されたことを意味し、その点ではまぁ、よかったぜい。

どうやらコロナ・ヒステリーが猛威を奮うこの時期は、予約をしていた新幹線等を手数料無料でキャンセルできるらしく、労働終了後に私は愛車のママチャリをぶっ飛ばして駅までキャンセルの手続きをしに行ったが、まじで楽勝で無料でキャンセルを行うことができた。

つまり私は結婚式に参加していたら発生していたであろう莫大な費用(祝儀・お土産代・交通費・飲み会代)と結婚式のために確保しておいた有給休暇を完全に我がものにすることができたわけである。

コロナ・ヒステリーのおかげで思わぬ形で手に入った金と時間。

何に使おうかしらん。

読みたい本はもう十分に確保している。

筋トレやジョギングをするのに金はかからない。

衣服はもうお気に入りのものを買い揃え、それ以上の所有は虚無感を生む。

今の部屋に不満はない。

食事は白米・納豆・干し野菜いり味噌汁で楽勝で、たまにうまいラーメン食べるくらいで大満足。

というわけで、使える金と時間の量が増えたとしても、幸か不幸か私がやることは基本的には変わらないようである。

代わり映えのしない日常を繰り返すだけだ。

P.S.

最近早寝早起きができるようになってきた。

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