何事も今の自分との組み合わせ

私は労働中にほうじ茶を飲み、ぼさっとすることがあり、時折、期間工時代のことを思い出すことがある。

期間工というのは、限りなく資産に見せかけた負債である動く鉄箱である自家用車を製造する際の単純労働部門を請け負う契約社員、みたいな感じのニュアンス的な労働者のことであるが、期間工というのはベルトコンベアーのリズムに合わせて労働力を発揮しなくてはならず、ベルトコンベアーが稼働している間は、ぼさっとほうじ茶を飲んでいる余裕も暇もない。

今の事務労働も期間工時代の肉体労働も労働は労働なのだけれど、期間工時代は一刻も早く労働から開放されたかった一方で、今は早く労働と無縁の生活を送りたいとは思わない。

ということはどういうことかというと、金銭に綺麗も汚いもないように、労働についても忌避すべきであるとか従事するべきであるという一般化はできず、結局、今の自分との組み合わせの問題になると思われる。

私、というより、おいどんの例で言えば、期間工時代は労働なんてどうでもいいから早く金を貯めて日本を出たい自分があり、その自分と労働強度の高い期間工の仕事の組み合わさったことにより、スピノザの言うところの悪、つまり活動能力の低下を招いていたわけで、そうなると自然と労働そのものに大して否定的な思いを抱いてしまう結果になる。

そして、今、諸行無常の理によりあれから変化自分と今の労働中にほうじ茶を飲めるくらいの余裕がある事務仕事との組み合わせにより、少なくともスピノザの言うところの悪、つまり活動能力の低下を招いている状態にはないわけで、現状の自分にとって今の労働形態は合っているとも言えるわけだ。

だがしかーし、今後、諸行無常の理により自分が変化していくことは必然で、自分だけではなく今従事している労働の中身も変化していくことも必然で、その結果、自分と労働の組み合わせも変化し、悪に転じることも十分にありうるわけで、あくまでも今の自分にとって今の労働はオーケーということはしかと認識しなくてはならない。

この浮世には、一時的に組み合わせが善になっている(活動力が上がっている)からと言って、それを一般化し、真理化し、やっぱり労働こそ至高かつ絶対、よって労働に従事していない者はことごとく穀潰しでありただの糞便製造機である、あるいは、やっぱり不労こそ至高かつ絶対、よって労働に従事している者はことごとく愚鈍でありただの家畜同然と断罪してしまう傲慢な凡夫がいるが、彼奴らは、人と物事の組み合わせの良し悪しは人それぞれ異なるし、その時々で異なるということを見逃している点で、コナン風に言うところのバーローであろう。

まぁ、上記のようなバーローはどうでもいいとして、我々凡夫は、今の自分にとって今の所良い感じの組み合わせになりそうなものを何でもいいから試行錯誤して見つけ続けていくしかないんだよね。

んじゃあ、偉そうなことを言っているてめぇは、今のてめぇにとって良い感じの組み合わせになっているものを見つけているのかよ、と唾を飛ばしてくる凡夫がいるかもしれないが、そういう凡夫には、うるせー、という言葉しか私は持ち合わせていない。

P.S.

『ロジカル筋トレ』という本おもろいで。

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