服について

ここ最近、服や靴を買うことが多いような気がする。

1月にチノパンを1本とスニーカーを1足。

2月にパーカーを1着。

3月にジーンズを1本とスニーカーを1足とTシャツを2着。

4月にジャケットを1着とスニーカーを1足。

特にパーカーとジーンズとジャケットは日本製のものを購入したため、その合計金額はおよそ5万円を少し超えるくらいになる。

しかーし、私は今後数年間は服や靴を極力買わないつもりで今般の消費行動に打って出たつもりである。

私はこれと言っておしゃれな人間ではなく、ファッショニスタでもファッションモンスターでもなく、凡夫だ。

どれだけシャレオツ・ツーケー・パイオツ・カイデーな服を着たところで、大して誰も注目もしないし、モテるわけでもない。

ファッションに労力を注げば注ぐほどその分虚無感に襲われるだけである。

よって私は服装について、誰にも何の印象も与えないこと、ダサいとも思われなければおしゃれだとも思われない服装を目指して、ある種のシンプルな型に沿って、ゴータマ・シッダールタ先輩の言うところの汚物の詰まった皮袋である身体を布切れで包むように心がけているのだけれど、んじゃあ何でてめぇはここ最近、服に大枚をはたいてやがるのかい、と疑問に思われるかもしれないが、それは、その方が結局、逐一快適だし、長持ちするし、結局大事にするからですよ、ということになる。

私は今よりも遥かに軽薄で浅薄で愚昧であった学生時代に、消費主義に脳髄をハックされ、ヴァイトをしては毎週のように服を買い漁っていた時期があった(それから諸行無常の理によって脳髄内の消費主義的な側面はある程度矯正された)。

実際に当時大量に購入した服や靴の中で、今でも愛用しているものはほとんどない。全ては諸行無常の理によってゴミと化し、塵芥と成り果てた。

しかーし、中には数点ほどではあるが今でもばりばりに愛用しているものがあり、それはブーツとマウンテンパーカーと時計とバックパックなのだけれど、それらはもう10年以上も私の汚物の詰まった皮袋である身体を飾り立ててくれているし、これからも私の汚物の詰まった皮袋を飾り立ててくれること間違いないぜい。

学生時代に購入し間もなくして手放すことになったものと10年以上も愛用してきたものの違いは、その堅牢さとシンプルさとそれに見合う値段だ。

その他の凡夫はどうなのかわからないが、うわっ、安っ、と思わずアッパーなテンションにさせてくれるようなハンマープライスで叩き売られているような服は、瞬時に飽きてしまい着なくなってしまうのが私という凡夫の性で、それは、虚栄心は一丁前にあるものの金がなかった私がもっとも陥りがちな罠であった。

廉価で質実剛健な服もあるだろうけれれど、安かろう悪かろうではないが、安い服はすぐにクタクタになったり、ヨレヨレになったり、ゴワゴワになったりしやすい傾向にあり、結局買い換える頻度が高くなってしまう。

そうしてすぐにボロくなり安いから買い、すぐにボロくなり安いから買い、という無限ループにはまり込んでしまった結果、我々自称先進国民はユニクロを世界的企業にしてしまったのであるが、まぁ、そんなことはどうでもいいし、エアリズムやヒートテックは愛用させてもらっているが、ウイグル人を奴隷搾取労働させとったら、まじであかへんど。

話を戻すと、ある程度の堅牢さを実現させるにはやはりそれなりの手間暇と技術が必要で、そうなるとそれに伴い値段も上がってくるのだけれど、だからと言って、莫大な広告費と一等地における店舗使用料等が上乗せされ異様な値段設定になっているハイブランドに手を出すのは愚の骨頂で、質と値段の絶妙なラインを行くのが日本製の服である、というのが今のところ私の結論だ。

日本製に限らず、いわゆる自称先進国製の服というのは品質がしっかりしており、労働関連の法律も後進国と比べると整備されているため搾取度や収奪度も低いと推測される。

堅牢さとそれに妥当な値段だけではなく、諸行無常の理の影響をあまり受けない時流に左右されないシンプルさも大切で、瞬間的に話題のファッションモンスターになろうと奇をてらった布切れを纏ったところで、脳髄が諸行無常の理によって飽きを感じ始め、好みや趣向が変状し、昨日までしっくりきており、自信を付与してくれたものが、まじでだっせーものに成り果ててしまっているということは、凡夫あるあるであるが、この種の凡夫あるあるに嵌まり込み、飽きたから安い服を買って、ボロくなったから安い服を買って、という消費の無限ループから抜け出す、ということは完全にはできないかもしれないが、多少高くても長く愛用できること間違いないと革新できる服を購入することで、消費から消費へのインターバルを相当引き伸ばすことができるのでないか。

ここで大切なことは、多少高くても長く愛用できることが請け合いの衣服類を持ち過ぎないことで、持ち過ぎると費用がかさむし、稼働率が悪くなり、何でこんなに買ってしまったのだろうと虚無感や自己嫌悪に陥ってしまうため、シーズン毎の稼働率を100%にするつもりで、もう今年の冬はこれしか着いへんど、というくらいの気持ちで買い物中毒にならないようには気をつけた方が良いと思われる。

というように自己正当化、というより自己欺瞞化し、ここ最近、被服費に大枚をはたいてしまったわけなのだけれど、妥協しなかった分、それらに対する満足度は高く、無論、大切にして長く愛用していく気満々である。

数は少ないが、これから数年分の服は完全に揃った。

汚物の詰まった皮袋を包むための布切れの準備が整ったのはいいものの、肝心なのは汚物の詰まった皮袋を布切れで包んだ状態で何をするかである。

それについては面倒くさいので考えないことにする。

P.S.

今日の一曲

今日は休みだ feat. 田我流
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