振り返るとがらんどうの日

今日は6時半過ぎに起床した。

最近は5時半頃に起床できるようになってきたが、前日に酒を飲んだために今日は起きることができなかった。

昨日は飲みすぎたし、食べ過ぎたのだけれど、なんだか心地の良い疲労感であった。

朝食をとり、身支度を整えて労働現場へ。

長時間労働特化型納税奴隷として淡々と労働に従事し、帰宅。

しばし休憩し、ジョギング。

夕食を済ませ、シャワーを浴びて、このように駄文をうっているのだけど、こうして文章にして一日を振り返ってみると、何の変哲もない平凡な一日である。

これといってアッパーなテンションのシチュエーションが起こることはないが、それと同時に何も悪いことも起こらなかったわけだ。

我々は身体が健康である時、何か特別なことを感じることはない。

健康な状態というのは痛みや苦しみといった不快な感覚とは無縁の状態である。

例えば私は長時間労働特化型納税奴隷と言っても口腔なるものを持っているが、今の私の口腔は毎日の歯ブラシとデンタルフロスによる歯磨きとコンクールによる口内洗浄により至って健康であるため、私は口腔内をほとんど意識することがない。

それはなぜかというと、歯痛や口内炎や火傷や歯槽膿漏等の不快なことが何も起こっていないからで、このように不快なことがない、ということが健康の証なのであーる。

言い換えると、健康というのは「快」=「不快なことがない」であって、「快」=「心地の良いことがある」ということではない。

現に私は健康な口腔により、心地のいい状態にはないが、不快な状態では全くないわけである。

日々の幸福も健康と同じであって、幸福というのは一日の内に「心地の良い時間や刺激的な時間がある」という状態ではなく、「不快な時間や出来事がない」という状態のことを指すのである。

みたいな感じのニュアンス的なことを、ショーペンハウアーという哲学者が言っていたが、このような視点は大事だよなー。

私もつい快楽や刺激を求めてしまうことがあるが、振り返ってみるとがらんどうの一日というのもまた、何も悪いことがなかったという意味で「快」なのだからええじゃないか、ええじゃないか。

となぜか最後は米騒動風になってしまった。

P.S.

3月は飲み代がかさむ。

タイトルとURLをコピーしました