『人新世の「資本論」』という本を読んだ。

『人新世の「資本論」』という本を読んだ。

資本主義が進行中の今日において、地球環境の汚染は厳然と進行している。地球環境が破壊されつくされてしまえば、後進国の人間だけではなく、先進国の人間も甚大な被害を被ることになる。持続可能な経済成長は幻想である。よって、地球環境を守るために、我々人類は飽くことなき経済成長を本質とする資本主義を脱却し、脱成長のコミュニズムへと舵を切らなければならへんど。

みたいな感じのニュアンス的なことが書かれてあり、とても読み応えがあった。

著者は人類の未来の選択肢として、経済成長を目的としない脱成長を核とする経済システムを最新のマルクス研究に触れながら提案していた。

私のような脳髄ががらんどうの凡夫が「マルクス」から連想することと言えば、スターリン、毛沢東による独裁共産主義で、思わず恐れおののいてしまうが、本書によれば、マルクスの主張というのは、資本主義に対して批判的であるというのは一貫しているが、きゃつが提案する資本主義に変わるモデルは諸行無常の理によって時期よって異なるという。

きゃつは最初の頃こそ、生産至上主義をかかげ、科学技術の発展によりあらゆる環境問題を克服していけるぽよ、と楽観主義であったが、よくよく考えてみると、色んな矛盾が出てきてだめじゃん、という結論に至り、前資本主義時代の共同体のあり方や地球環境に関わるあらゆる文献を読み漁り、最終的には経済成長を目的としない、環境へ過度な負荷をかけないという意味で合理的なシステムにシフトするべきだとの結論に至ったという。

マルクスのエコロジカルな側面は著書としては多分には表されていないが、晩年のきゃつのメモ書きやノート等の研究が進んでいく中で、そのような側面が明るみになってきたらしい。

私は共産主義者ではないが、今日の経済成長至上主義にはある種の気持ち悪さを感じている。

と、言いつつも、私はインデックス投資をし、経済成長の恩恵に与ろうともしており、自分の中でもある種の分裂が起こっているわけであるが、まぁ、それはそれで人間凡夫ということでとりあえずいいとして、話を戻すと、やっぱり経済成長至上主義はどこか気持ち悪いわけだ。

その気持ち悪さの一つが、事の全てをGDPや金銭的価値で測ろうとすることで、別の言い方をすると、経済成長至上主義者は金銭的価値に置き換えなければ物事の価値を測ることができない。

これは私が好きな小説家の保坂和志さんがエッセイで書いていた例であるが、この社会では近所のおばちゃんの畑で採れた大根をもらって漬物を作って食べることよりも、パチンコに行くことのほうが望ましい、なぜならば、前者はGDPに計上されず、後者はGDPに計上されるからである。

この手の気持ち悪さへの批判も『人新世の「資本論」』には詳しく書かれてあり、とても共感できた。

私は脳髄ががらんどうであるが故にこの本を読むまでは経済システムと環境問題を関連させて考えることが皆無であったが、この本を読んだことで少しは環境問題について興味を持つことができそうである。

よーし、これからは少しでも環境に優しい凡夫になったるど、と意気込み、環境保護のためにこれからエコバッグやマイボトルを買う、みたいな感じのニュアンス的な塩梅の雰囲気っぽいことをやってしまうと、それはグリーン・ウォッシュといって、客に環境問題について深く考えさせないように、環境に配慮している風を装っている資本が展開している免罪符的な自己欺瞞キャンペーンなんだよ、つまりは結局、資本に踊らされているだけなんだよ、バーロー、と罵倒されてしまうので、要注意である。

P.S.

読書はやっぱりおもろいで。

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