
ふと西成に行きたくなり、年末は西成で過ごすことにした。
私は海外を放浪する前に2週間ほど西成に逗留したことがあり、また、縁あって関西で働くことになり、労働用の部屋を京都で探さなければならなくなった時も西成に宿をとり、そこを拠点に部屋探しを行った。
よって私にとって西成は全くもって初めてではないのだけれど、やっぱり西成は独特のグルーヴを炸裂させていた。
西成のメッカ的広場である三角公園では越冬闘争なるものが繰り広げられており、そこにはドラム缶が2つ置かれ、わけのわからない材木が運び込まれてはそれらを燃焼させておいちゃんたちの暖炉代わりとなっていた。
寒波の吹きすさぶ西成は悲壮感も相まってとてつもなく寒く、京都の一角で温室育ちに甘んじる私も当該ドラム缶を囲むことにした。
そこではおいちゃんたちの錯綜した話を傾聴することができ、実に刺激的であった。
自称先進国日本の自称先進国民である我々は仏教寺院に行くと護摩を焚き、線香の香る煙をもってして己を清めるみたいな感じのニュアンス的な信仰を持っているようであるが、その護摩のごとく、私もドラム缶から吹き出るわけのわからない木材の不完全燃焼臭を纏った煙を浴びて己を清めた。
西成において、私はディズニーランドにおけるスプラッシュマウンテンと同格のアトラクションとして、日頃の奴隷労働によって手に入れた日本銀行券1000円を投じてパチンコなるものを初めてやってみたのだけれど、ものの見事に負けた。
凄まじい虚無感であった。
もう絶対にやらへんど。
西成をぶらつき歩き、ホルモンをあてに日本酒を燗で嗜んだ。紅白歌合戦をもってしても太刀打ちできない、というよりより際立ってしまう寂莫感満載の商店街と店内の雰囲気の中でとてつもなく美味であり、価格もホルモン+熱燗で400円である。
また行きたいぽよ。
夜8時になると、おいちゃんたちの一部は越冬闘争の一環としてデモ行進みたな感じの行事に参加するという。
この越冬闘争なるものは、とある団体(名前は忘れました)が長年主催している運動であるらしく、当該団体は何か切実に訴えたいことがあるようで、それはそれでいいのだけれど、そこに参加しているおいちゃんたちは、実際にはそれほど切実に訴えたいことはなく、その運動が終わった後に配られる弁当が欲しい、というのが切実な願いであるように感じたのだけれど、そう思ってしまう私はバーローであろうか。
おいちゃんたち一行は警察に包囲されながら西成を抜け、近隣の駅まで練り歩き、当該駅からまた別のところへと移動するらしいが、まじで寒いので私は宿に戻ることにした。
西成の宿はドヤ、安宿であり、1泊1200円で、部屋は3畳。テレビも冷蔵庫も付いているため楽勝であーる。
無論、部屋は汚い。
しかも、なんか臭う。
布団が清潔に保たれているのが唯一の救いである。
その宿には大浴場(といっても狭いが)もあるのだけれど、スーパー玉出で購入した弁当を頬張りながらRIZINを見ていると、大浴場の解放時間が過ぎてしまったため、近所の銭湯に行くことにした。
お湯の暖かみが激烈に身に沁みた。
当該銭湯で30円で購入した石鹸で洗顔すると、顔の油分がごっそりと持っていかれ、バリバリになっちゃった。
夜はほとんど眠れなかった。
朝8時前には宿を出て、西成をひと歩きし、それから大阪梅田駅まで歩いた。
ようやっと自分の部屋に辿り着くと、いかに自分の部屋が清潔で快適で必要なものが全て揃っているのかに気づかされた。ニベアクリームの有難さにも気付かされた。
西成に感謝です。
P.S.
もう西成には泊まらないと思う。