ONLYでオーダースーツを作って思ったこと。

会社員という名の長時間労働特化型納税奴隷の労働着であるスーツを先月オーダーし、それが本日届いたのだけれど、なかなかいい仕上がり具合になっていた(ちなみ2着で4万円ほどであった)。

店舗での採寸の時に、凡夫の煩悩である虚栄心のせいで、ウエストを若干小さめに設定したせいで、少し窮屈な気がするため、補正依頼をする羽目になりそうではあるが、とりあえず一週間ほど着てみて様子をみることにしようかしらん。

この度、労働着=スーツをオーダーしたのはONLYという店で、ONLYにはミニマルオーダーというシステムがあり、当該システムを利用すれば、生地を選び、採寸を済ませるだけでオーダースーツが出来上がる(通常であれば、ボタンや裏地なんかも事細かに選んでいくらしいが、怠惰な私にとってはそんなんやってられへん)。

自分で採寸し、オンラインでオーダーすることもできるらしいのだけれど、やっぱり店舗に行ってプロにやってもらったほうがいいと思います。

ニート・フリーターとしてへらへらしながら過ごしてきた私は、長時間労働特化型納税奴隷になるまではスーツとは無縁の日々を送り、当然の結果としてスーツに関する知識は皆無に等しいのだけれど、私と同様にスーツに関する知識が皆無に等しいという自覚があり、なおかつこれからオーダースーツを作りに行こうと思っている凡夫は、是非ともその前にブログや動画サイトなどでスーツのサイズ感に関する情報をある程度集めた上で店舗に乗り込んだ方がいいと思う。

そうしておけば、然るべき知識とプロの助言を基に適正なサイズのスーツを作ることができ、煩悩まみれの私のように無知のままに己の虚栄心を軸にサイズを見極めていこうとしなくてよくなるはずである。

しかしながら、毎日スーツと呼ばれている労働着を着ていると不思議に思うのは、どうして我々凡夫はこの堅苦しくて決して抜群に着心地が良いとは言えないこの種の衣類を「ちゃんとした」恰好とみなすのかしらん。

我々人間は、あのスーツの生地感や形やシルエットを「ちゃんとした」ものとみなすように予め生物学的に宿命づけられているのかしらん。それとも日々の慣習によりスーツを「ちゃんとした」服装とみなすように刷り込まれ、矯正させられているのかしらん。

我々が何かを「ちゃんとした」ものとみなすためにはどのような要素が必要条件となるのかしらん。

例えば、とある凡夫のスニーカーに三本ラインが施されていると、今日の我々はそれをごく自然なものとして、ほーん、アディダスのスニーカーか、と、捉えるが、それが2本ラインであったり、4本ラインであったりすると不自然なものとして、あれ?なんか違うな、と捉えるだろう。

となると、我々は生物学的に3本ラインが自然なものであると捉える脳髄を与えられているのか、それとも我々は脳髄をアディダスにがっつりとハックされ、ファックされているのか。

私は脳科学者ではないので脳髄のことはさっぱりわからないが、私は上記の問いは、後者の方が有力だと思う、つまり、我々の脳髄がアディダスにハックされファックされているために、我々はスニーカーの3本ラインを自然で正当なものとして捉え、それ以外の本数のラインが刻まれているスニーカーを異物と捉えてしまう。

とすれば、話を労働着=スーツの話に戻すと、事務系の労働現場においてはスーツが正当な服装であると捉えられがちであるが、それは我々の脳髄にスーツ=正装という概念が何らかの形で刻み込まれているが故にそのように捉えられていると考えられる。

3本ラインの場合はアディダスのブランディング戦略、マーケティング戦略によるものであるとして、「スーツ=ちゃんとした服装」という概念については、どのようにして我々凡夫の脳髄に刷り込まれていったのか。

この世の中の自称大人たちが何かにつけてスーツを着ているために、それが「ちゃんとした」ものとみなされているのならば、当該自称大人たちが事あるごとにア・ベイシング・エイプのパーカーを着始めれば、パーカーが「ちゃんとした」ものとして認知されはじめるのかしらん。

そうだとすれば「ちゃんと」というのは相対的なもので、所詮はくだらない幻想、まやかしに過ぎないということで、せっかく購入したオーダースーツも、諸行無常の理によってそのまやかしが解けてしまえば、今日のパーカーと同様のカジュアルさになってしまうという可能性もあるわけだ。

ということは、スーツはパーカーというわけで、これからガシガシに着古しても問題ないわけで、パーカーを着る時にネクタイなんて締めないわけだから、ネクタイなんてしなくてもいいわけで、もう私は来週からネクタイはしないことにする。

P.S.

古いスーツ2着は即刻ゴミ箱に押し込んだ。

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