労働による負荷と沈鬱さ

商売の才能、資産運用の才能が皆無の僕は一人旅の資金を調達するためにとある自動車会社の工場で長時間労働特化型納税奴隷という身分、俗に言う期間工という身分に身を窶していたことがあるが、その時は一刻も早く労働から解放されたかった。

早く労働を辞めたかったと同時に、早く一日が終わって欲しかった

時が早く過ぎ去り、契約満了の時期が到来し、晴れて労働からの解放、そして大金を手に海外放浪じゃい、というように未来の楽しみがある故に時の流れが早まることを望んでいた部分もあるかもしれないが、それ以上に労働自体が苦痛であるが故に早く労働日が終了して欲しかったというのがより正確であるように思う。

この時に狂牛病を遥かに凌ぐがらんどうの脳髄をもってして考えたことは、一刻も早い休日の到来を望む生活、労働日が早く過ぎ去ることを願う生活、このような生活を送ることは、商売の才能や資産運用の才能が欠落しているが故に長時間労働を宿命づけられている凡夫にとって、つまり人生の大半を長時間労働に費やす凡夫にとって、一刻も早い人生の週末かつ終末を願う生活と同意であり、それってなんだかもったいないっつーか、少なくとも気持ちの良いものではないなー、みたいな感じのニュアンス的なことを当時の僕は考えたわけであるが、それから数年の時を経て、今現在の僕は何をやっているのかというと、紆余曲折はあったものの結果的には相も変わらず長時間労働特化型納税奴隷であーる。

だがしかーし、今の長時間労働特化型納税奴隷生活においては、かつてのように、早く一日が終わって欲しい、早く週末になって欲しい、まじでブルーマンデー、早く定年来いよバーロー、という思いに駆られることは皆無であり、この以前との違いを形成している諸要素、つまり、かつての労働とかつての自分との関係、そして今の労働と今の自分との関係、それらをよーく分析してみると、以下のようになる。

かつての期間工という労働形態は二交代制勤務で生活リズムが作りにくく、肉体労働であるため、労働による負荷が僕にはきつかった。そして、当時の僕には労働とは決して両立できない海外放浪というやりたいことがあった。よって、こんなきついことずっとやってらんねーわ、早く旅行きて―わ、となっていたわけであるが、仮にその当時、旅に行くという目的がなく、ただただ生活のためだけに期間工をしていたとしても、早くこんな生活終わらせて―わ、と強く思っていたことは間違いない。

ということは、今現在、特段何の目的のためでもなく事務職に甘んじている状態で、早く週末来いや、とはさほどならないということは、将来の明確な目的の有無ではなく、労働による負荷が日々の沈鬱さに大きく影響しているのかもしれへんのー。

この広大無辺な世界には、労働を無条件に忌み嫌う凡夫もいるが、それはそれでいいとして、僕の浅薄な経験からすると、労働そのものには良いも悪いもなく、労働による負荷の大きさや自分の耐性により、労働への感じ方は大きく変わってくるのではないかしらん、と思う次第である。

では、労働による負荷が余りにもなさすぎる状態はどうであろうか・・・

というように軽薄な思考の迷路に嵌まりこんでしまうと、休日の貴重な時間が空費されてしまうため、ここは長時間労働特化型納税奴隷らしく思考を停止させることにしよう。

P.S.

今日は干しタマネギを作るぜ。

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