自制心と快楽

早寝早起きを志してからというもの、夜の9時~10時台には就寝できるようになってきたが、早起きというものがなかなかできない。

早寝ができるようになり、早起きができない状態ということは、ただただ単純に睡眠時間が延びたということを意味するが、その効果はなかなかのもので、目覚めがすっきりし、体が軽くなり、労働のための身支度もさくさくと進んで行く。

そして、労働中も眠くなることがなく労働に集中することができ、あっと言う間に労働が終わるような感覚を得やすくなる。

睡眠を十分にとった時の快感と睡眠を十分にとれなかった時の不快感、つまり良い状態の快楽と悪い状態の不快感、この差を歴然と実感することができれば、人はその快感をもたらしてくれる活動を習慣にしやすくなる。

睡眠を十分にとった時のあのすっきりした感じ、あの体が軽い感じをもう一度味わいたい、ということで、快楽に導かれるように9時台や10時台になるととりあえず睡眠の準備に取りかかりたくなってくる。

それは筋トレやジョギングも同じで、筋トレやジョギングをやり終えた時のあの爽快感は本当に心地よく、その快楽を知り、その快楽の再現性を実感することができれば、ジョギングや筋トレをやらない一日が無性に物足りなくなってくる。

早寝早起きや筋トレやジョギングといった良い習慣はその快楽を見出し、その快楽に対して中毒的になるまでに多少の苦労なり時間を要するが、一度中毒的になるといい意味でなかなかやめられなくなり、むしろそれらをやらないと、やるべきことをやっていないような気がしてきてどことなく気持ちが悪い感じがしてしまう。

僕にとっては掃除や洗濯や歯磨き後のフロスや口内洗浄も同じで、どれもやろうとするとものすごく面倒臭い思いに駆られるが、やらなければ気持ちの悪い思いをし、やれば気持ちが良いことを間違いなく知っているので、面倒臭いという思いに圧倒されることなく、難なく取り組めてしまう。

面倒だけれどやったら間違いなく気持ちが良くなる営み、つまり、ある程度の自制心が必要とされる営みを習慣とすることで日々の充実度はある程度確保されるわけだ。

それはどうしてかしらん、と考えてみると、自力で獲得した快楽、みたいな感じのニュアンス的な自己肯定感を得ることができるからでしょうね、おそらく。

この爽快な感じ、この体が軽い感じ、片付いている部屋や今着ている清潔な服、これらのいい感じのものは自制心に基づく営みに依存する度合いが大きく、よって自分の自分に対する裁量権を実感することができ、おれはおれの部長、つまりおれは管理職、よっておれはおれという奴隷労働者をこき使うことで左団扇で快楽を貪り食らわせていただいております、たまらんなー、と思えるからだろう。

僕は何を言っているのか。

早寝早起きができるようになるにはまだまだ時間がかかりそうであるが、必ずものにしてやるど。

P.S.

断熱マグカップが欲しい。

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