日々の満足度について一日単位・一週間単位で考えてみる

特定の分野にこだわらず、気の向くままに本を読む、つまりは乱読という方法である程度の読書量を積んでいくと、似たようなことを言っている本に出合うことがあるのだけれど、その一例が「今この瞬間を生きる」みたいな感じのニュアンス的な雰囲気っぽいもので、これは小説や哲学や宗教関連の書籍によく出て来る文言で、そのような趣旨の文章を読んでいる瞬間は、そうだなー、現実は今この瞬間にしか存在しなのだから、今この瞬間に集中して生きないといけないなー、と瞬間的には納得はするものの、凡夫なる者、殊更に僕のような低劣な凡夫なる者は瞬間瞬間に集中できるほどの集中力を兼ね備えておらず、結局、瞬間瞬間をとらえて日々を営もうとしても、その試みは一瞬にして瓦解し、集中していれば豊かに感じられるはずの時間はいとも簡単に腐り果ててしまう。

瞬間瞬間を捉えて生きることが能力的に無理なのであれば、その逆、これもまたよく言われることであるが、「これから先の数年後、数十年後を見据えて日々の営みを構築せよ」という言説があるのだけれど、凡夫なる者、殊更に僕のような低劣な凡夫は、数年後、ましてや数十年後を見据えられるほどの大局観なり先見の明は持ち合わせておらず、結局、遠い先の未来を見据えようにも、見えてくるものは漆黒の闇であり、見える未来のために日々を営もうとしても、その試みは一瞬にして瓦解し、確たる未来像が見えていれば豊かに感じられるはずの時間はいとも簡単に腐り果ててしまう。

つまり、愚鈍な凡夫は日々をいい感じにしようにも凡夫であるが故に先人賢人たちの助言を実践できないわけであるが、このような絶望的な状態において、凡夫ができることと言えば、まいっちゃったなー、と悲嘆の言葉を漏らすことくらいだよね。

だがしかーし、今この瞬間そして遠い先の未来も捉えられない凡夫であっても、今日一日、あるは今週一週間単位であれば、それなりに具体的に捉えることができ、そこから自分にとって有意義な時間の過ごし方を導き出すことができるのではないかしらん。

つまり己自身が、今日はいい一日だったどすなー、あるいは、今週はいい一週間だったどすなー、としみじみ思えるためにはどうすればいいのかを考えるわけなのだけれど、これくらいであれば愚鈍な凡夫であってもできなくなくなくなくなくはないと思う。

諸行無常の理によって、自分にとってのいい一日のための条件はその都度変わっていくわけであるから、自分にとってのいい一日のための条件を見極めるためにはある程度の試行錯誤が必要となってくるのだけれど、その試行錯誤はそれぞれの凡夫でやってもらうとして、話の焦点を僕に当てるとすれば、僕の浅薄な試行錯誤によると、筋トレあるいはジョギングを一日の営みの中に組み込むことにより、その日の満足度は格段に上昇する。

つまり、僕にとってのいい一日のための条件の一つは「運動をする」ということになる。

一週間単位でいうと、無教養であるが故に、労働に従事していた方が今は満足度が高く、運動は一週間毎日やるとだるくなるので、2~3日運動し、その翌日は軽い飲酒を嗜むというリズムのほうがバランスよく感じられ、いい一週間だったなーと思いやすくなる。

さらに酒を飲まない日は勉学を・・・

早起きをして朝の一時間は読書を・・・

週末は外食でも・・・

みたいな感じでこの世の凡夫は一日あるいは一週間単位でもって試行錯誤をしながら日々の営みを組み立てていくほうが有効なのではないかしらん。

どうすれば今日はいい一日だったなー、と思えるだろうか。

あるいは過去にそう思えた日に共通しているもの何なのだろうか。

まずはそれらの質問を汚物の詰まった革袋である己自身にぶつけてみる。

それさえもわからないのであれば、これから試行錯誤して見つけていけばいいだけであーる。

と偉そうなことを言っているが、己の怠惰な性格が祟り、僕はこの文章を書いている時点で一日の大半を空費してしまっていることに気がついており、今日一日のこれからの時間をもって筋トレや散歩を行ったとしても、全てが中途半端に終わり、今日一日を振り返った際に「今日一日は何だったのだろうか」となってしまう可能性は大である。

まいっちゃったなー。

P.S.

早寝早起きができるようになりたい。

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