愛宕山を歩きたい係員各位

僕が比叡山に登ったことを知った京都の方が、比叡山に登ったんなら次は愛宕山どすなー、と愛宕山という新たな情報を提供してくれ、その時、煩悩まみれの凡夫である僕の好奇心がそそられたため、納税奴隷労働の間隙を縫って愛宕山へ行く機会を虎視眈々と狙っていたのだけれど、その機会は9月のシルバーウィークなるものの中日に見出すことができた。

今、世間の大半の凡夫たちは新型コロナっちに恐れ戦き、阿鼻叫喚に次ぐ阿鼻叫喚、あーでもないこーでもないと喧々諤々の議論を行っている最中で、コロナヒステリーを誘発し合い、コロナ対策に忙殺されているらしいのだけれど、つまりはそのようなコロナ禍において、僕の見立てでは、凡夫たちは今年のシルバーウィークをコロナっち感染拡大防止のためにびくびくと自宅に引きこもり、岩波文庫でも読みながら沈思黙考し、パスタでも食べて過ごすはずになっていた。

となれば、外はがらんどうのはずで、僕はがらんどうのバスに揺られて、楽勝で目的地に辿りつくはずだったのだけれど、がらんどうだったのは僕の脳髄の方だったようで、実際には外は人で溢れ返り、特に愛宕山へのバスは京都屈指の観光地である嵐山を経由するため、殊更に人で溢れ返り、さらに嵐山を目指す凡夫たちはコロナ対策をしつつも観光地へ行く手段として車での移動を選択し、それ故に狭隘な道路の入り組む嵐山は車でごった返す状態で、着替えや飲料水や食料をリュックに詰め込み、愛宕山へ行く準備万端の僕はダイヤの完全に狂ったバス停にて待ちぼうけであーる。

まじでどんだけ待ってもバスが来ない。

嵐山の景勝を嗜む観光客が織りなすアッパーなテンションのシチュエーションの中で、僕一人のみがきゃつらのせいで目的地に辿り着けずに、まじでカッチーンときていたのだけれど、そのようにそもそもが己のがらんどうの脳髄による判断ミスが招いた状況を人のせいにしようとしている己の浅薄さ、軽薄さ、愚鈍さ、愚昧さ、愚劣さに気がつき、意気消沈。

さらに諸行無常の理によって交通状態が瞬く間に改善され、早急にバスが来たとしても、登山道を楽しめる時間的余裕もなさそうだったので、ここは意地を張らず、毎月の積立NISAで培った損切能力を駆使し、嵐山から撤退することにし、帰りにTSUTAYAで漫画を30冊ほど借り、残りの休日の1日半は当該漫画を読了することに全てを費やした。

この時の反省を活かして臨んだ次の週末。

世の中の長時間労働特化型納税奴隷たちが新型コロナっちよりも恐れ戦く月曜日の前日、すなわち次の日の労働に備えて体力の消耗を極力惜しむであろう日曜日に、前回よりも早めに家を出て(僕の場合、偶然にも月曜日が有給になっていたため日曜日が個人的には中日であった)、事前に検索した最短ルートを辿ることにしたのだけれど、おかげで楽勝で登山口に到着することができた。

愛宕山というのは愛宕神社をその山頂に冠する聖なる山らしく、その道は登山道というよりは参道という位置づけで、なかなか歩き甲斐がありまっせ。

最寄りのバス停は清滝というところなのだけれど、清滝まで行くには嵐山までいく必要があるが、嵐山までは京都駅からバスで行くよりも、阪急電車を使って行った方が交通状況の影響をほとんど受けずにスムーズに行くことができるのでお勧めです。

僕は一回目に失敗した時は事前に調べることもせずに何となく京都駅からバスで嵐山を目指したのだけれど、交通渋滞のため、バスが全く進まなかったので不快だったし、何よりも自宅からだと阪急電車を使った方が遥かに近いことを知ってz虚脱した。

土地勘のないところについてはやはり地図をもってして事前に調べておいた方がいいぜ。

参道や山道といった自然に溢れる静かな道を黙々と歩いていると、疲労が蓄積されると共に心身がリフレッシュされてくる一方、種々様々な想念が湧き起ってくることがあるのだけれど、例えば、昨年熊野古道を歩いた時は、早く労働組合やめたいよーん、という面倒な想念が圧倒的であったが、んじゃあ今回はどうだったのかというと、早くラーメン食べたいよーん、というささやかな想念くらいであった。

自然の中でいい意味で疲労困憊している時でもドタマから離れない事柄というのはそれなりのもので、その事柄については何らかの形で正面から向き合う必要がある可能性が大なのでないかしらん。

よって僕は労働組合をやめたし、ラーメンを食べた。

己の想念の棚卸のために、定期的に山歩きは続けていきたい。

P.S.

国勢調査だるですね。

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