自分のタイミングで働き始めるということ

仕事中に釣りを楽しむタクシーの運ちゃん in ベトナム

僕が好きなユーチューバ―に黒髪ピピピさんという人がいるのだけれど、その黒髪ピピピさんが数週間前ほどから働き始めたという。

彼は幾多もの挫折体験、発狂体験をくぐり抜け、その圧倒的な経験の厚みを糧に専業ユーチューバ―になったものの、フリーランスの不安定さがもたらす将来不安に耐え切れず、労働を始め、今は兼業ユーチューバ―として新たスタートを切ったのだけれど、僕は純粋に素晴らしいことだと思う。

我らが自称先進国日本に蔓延るカルト教団労働教の熱狂的信者たちは、労働に従事していない人間は悉く無価値である、というドグマを妄信しているが、僕は、人は労働してなんぼどす、ピピピさんもようやっと一人前の大人の仲間入りどす、と言いたいわけでは決してない。絶対にない。

ピピピさんは労働を始めたことによって精神的に安定することができたと言っていたのだけれど、だったらそれは素晴らしいことである。

人間は諸行無常の理によって十人十色人それぞれであり、労働をすることによって精神が安定する人もいれば、労働をすることによって精神に異常をきたす人もいるし、また、労働と一言で言っても、労働のあり方というのは実際には千差万別で、労働時間や労働賃金や労働環境や労働強度といった一つの労働を形成する諸要素によっても精神衛生への影響が異なってくる。

諸行無常の理により刻一刻と変化する自分自身と身の回りの環境を鑑みて、自分にとっての労働の必要の有無や必要性の度合いや必要な労働の種類が異なってくるのは至極当たり前であり、その判断は基本的に自分自身で行うべき事柄なのだけれど、カルト教団労働教の熱狂的信者たちは、労働せぇへんなんて絶対にありえへんど、と慌てふためき、早く働けぇ、と高圧的な態度で威圧する。

これは結婚にも言えて、我らが自称先進国日本に蔓延るカルト教団結婚教の熱狂的信者たちは、一定の年齢を越えて結婚していない者を見つけると、結婚してへんなんて絶対にありえへんど、と慌てふためき、早く婚姻しろぉ、と高圧的な態度で威圧してくる。

労働教や結婚教を総称してカルト教団世間教と呼ぶのであれば、労働にしても結婚にしても、メリット・デメリットが必ず存在し、そのデメリットの中には精神崩壊の可能性人生破滅の可能性が十分に含まれる。

カルト教団世間教の人間は、労働や結婚を高圧的な態度をもって人に強制し、仮にその人が労働あるいは結婚によって破滅人生まっしぐらとなった場合、絶対にその責任は取らない。絶対に。

無論、働かないこと、結婚しないことによって精神が崩壊したり、人生が破滅したりする可能性もあるわけだが、この場合はカルト教団世間教の高圧的な態度をシカッティングし、自分で選び取った選択である可能性が高く、その分まだ納得がしやすいから、まぁ、オーケーっつーことで。

ここでピピピさんの話に戻ると、ピピピさんが素晴らしいのは労働に従事するタイミングを自分のタイミングで選んだことで、それによってやっぱり働いてよかったなーと充実感を得ている。

ピピピさんは、そういう時期が来た時に、そういう時期に適切な対応をとったわけだ。

これは僕も共感できるのだけれど、僕はかつてニートとして過ごしていた時期があったが、あの時はニートの定義のごとく求職意欲が全く生じてなかった。

それが諸行無常の理によって、求職意欲が湧き上がってきて、自分のタイミングで今の長時間労働特化型納税奴隷という身分に堕しているわけなのだけれど、結構しっくりきている。

もしもあの時、カルト教団世間教の圧に屈し、やりたいこともやるべきこともやらずに学校卒業後リーマン・ベルトコンベアーに飛び乗っていたら、今頃やりたいことができなかった理由ややるべきことができなかった理由を、仕事や配偶者や子供のせいにして、悶々としていただろう。

労働するにしても、結婚するにしても、カルト教団世間教が漠然と想定するタイミングではなく、自分のタイミングでやることはやっぱり大事であーる。

無論、労働も結婚もしてもしなくてもどちらでも構わないと思うが、カルト教団世間教は・・・・・・

収拾がつかなくなってきたので、終わるどす。

P.S.

たまには街に繰り出そうかしらん。

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