勉学でもやってすっきりする。

コロナっち関係の定額給付金で購入したものの一つに机と椅子があるのだけれど、納税労働のみをしていればよいだけの身分である僕がなぜそのような代物を購入したかというと、勉強を日常に取り入れたかった、というささやかな思いがあるからなのです。

会ったこともない亡き祖父は、人生死ぬまで勉強、とよく口にしていたと祖母が言っていたらしいが、やっぱりそれは実利的な意味だけではなく、享楽的な意味でもそうかもしれへんのー、と僕はしみじみと思う。

勉強と言っても、何かを学び取ろうとすれば全ては勉強になるわけで、何も机や椅子がなくても、読書や旅や労働や家事や運動やインターネットからでも十分に何かを学べるが、僕が日常に新たに取り入れたい勉強のスタイルというのは「勉学」と呼んだ方がしっくりくるかもしれないが、受験勉強のような教科書や問題集を通じて何かを体系的に学んでいくタイプのもので、尚且つノートとペンに代表される文房具を駆使して学習していくタイプのものなのだけれど、その理由は、気持ちが良さそうだから、それに尽きる。

僕は高校時代に短時間ではあるが毎日コツコツと勉強をしていくタイプだったのだけれど、ということはその当時は勉学が完全に日常化していていたということになるが、確かに今思い出してみると、その日その日の勉学が終わるたびに、ささやかな達成感みたいな感じのニュアンス的な享楽を感じていて、だからこそ楽勝で続けられていたのだろう。

そうして受験勉強が終わり、空疎な大学生活が終わると、勉学とはほぼほぼ無縁の日々が過ぎていったが、最近になって当時の郷愁的な享楽を求めて一丁やったるかー、という意欲が出て来た。

ここまではいいのだけれど、いざ机と椅子を買って勉学を始めようとすると、全然集中できへん

今よりも遥かに浅薄な高校時代は数時間の勉強なんて楽勝であったが、今となっては諸行無常の理により悉く勉学に集中できなくなっており、勉学時間は30分くらいが限界であーる。

勉学を導入し始めた最初の頃は強烈なかったるさに襲われ、数日間はクローゼットから教科書を取り出し、それを勉学机上に置き、椅子に座るだけの日々であったが、だんだんと勉学に取り組めるようになってきた。

自分なりに教科書を細かく区切り、その短い区切りについてテキストを読み、要点をノートにまとめ、問題を解く。

例えば簿記の3級の勉学であれば、「費用の前払い金の処理」についてのテキスト2~3ページ分(絵が大半)を読み、なるほどねー、と呟き、ノートに手短にまとめ(まとめる必要がないことがほとんど)、練習問題を解く。

これでその日の勉学は終了とする。

慣れてくればより多くの時間を勉学に割くことができるようになり、より多くの学習量を確保できるようになるが、これは享楽のための勉強であるため、無理は絶対にだめだぽよ。

傍からみれば、雑魚レベルの勉学かもしれないが、脳髄ががらんどうの僕にとってはこれでもなかなか充実感がある。

日々の生活において、あまり字や線を書くことの少ないためか、何かをノートにまとめながらの学習は、読書とはまた違った刺激で、独特の達成感がある。

この達成感の理由としては、練習問題をそれなりに解けるようになることによって、これまでわけのわからなかった事柄について多少なりともわかるようになったと実感しやすくなるからということだけではなく、読書に比べて実際に体を動かしているからというのもあるかもしれないが、その手の分析はどうでもよくて、勉学は筋トレやジョギングと同様に始める前はかったるいがやり終わった後のすっきり感はひとしおである。

簿記を軽く勉強したあとは、FPや社会保険労務士の分野に関する勉学にも取り組めていけたらいいとは思っているが、簿記3級のテキストをやり終えるだけでもかなりの時間がかかりそうであーる。

まぁ、そんなことはどうでもよくて、こつこつ無理せずにやっていくだけだ。

P.S.

世の中知らないことだらけや。

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