干し野菜と筋トレ――絶望していない徴候――

僕はテレビを持っておらず、故に実際には知っていなくてもいいけれど知っておくべきことみたいな雰囲気を纏っている情報、即ち巷のニュースなるものに疎いのだけれど、先日、思考の停止した長時間労働特化型納税奴隷の惰性的機能としてtwitter界隈を徘徊していると、異様な人だかりを検知し、ミヤネ屋ばりの野次馬根性でその情報を垣間見てみたのだけれど、どうやら有名俳優が自殺をしたらしいやん。

とにもかくにも、自殺した件の俳優のご冥福をお祈りするとともに、その他大勢の自殺者のご冥福もお祈りさせていただきます。

自殺と言えば、僕は10代の頃に友人を亡くしたことがあるのだけれど、その友人も自殺した。

その友人は自殺を決意するまで、まさかその日自分が死ぬことになろうとは絶対に想像していなかったはずだ。詳細は割愛するが、それは間違いない。

彼は急遽自殺を決意し、それを実行に移したわけだが、僕はその経験から、死というのは病原菌や事故のように外からやって来る場合もあるが、己の内側から突如として湧き起って来て、己を乗っ取ってしまうこともあるのだ、ということを学んだ。

ということは、僕のようなぼんくらな凡人も、突如として強烈な希死念慮に心身をハックされファックされ、気が付いたら三途の川を渡っている、ということもあるわけで、まじで諸行無常、とますます痛感させられるわけで、そう考えると、自殺は決して他人事ではないなー、と思うのだけれど、そんなことをがらんどうの脳髄の片隅で考えながら、貴重な労働者の休日に僕は何をしていたのかというと、ごぼうを切っていた。

その目的は干し野菜を作るためなのだけれど、少し前にニンジンの干し野菜に挑戦してみたところ、ニンジンが真っ黒になり、変な臭いを醸成し始めたため、断腸の思いで破棄。ぼんくらの習性として新たことに挑戦することへの恐怖感に苛まれた僕は、かつて楽勝で精製することのできた干しごぼうへと舵を切ったのです。

というような話はどうでもいいとして、このように保存食を作るということは、少なくとも生きている未来を想像しているということになる。

歯ごたえのある干しごぼう入りの袋ラーメンを頬張っている自分、即ち美味いものを食べるといういい時間を過ごしている自分を想像しているわけであるが、このようなささやかで前向きな願望なり希望が込められた活動ができているということは、これ即ち、己の内側から湧き起ってくる可能性のある死に隙を与えていないということになるのかもしれない。

筋トレもそのような類の活動なのかもしれへん。

筋トレによる体の鍛錬の結果は決して即時的ではない。筋トレによる効果や効能を実感し、享受できるのは未来においてであって、当たり前であるがその未来において当の本人は生きていなければならない。この先の未来に何らかの望みや喜びを見出せると思うからからこそ、筋トレをすることができるのであって、未来に全面的に絶望している人間は筋トレなど始める気も起らないのではないか。

いや、それはそうかもしれないが、もう一つの考えとして、未来に絶望していたが、自暴自棄になり、自分を破壊するつもりで筋トレを始めたら、どことなく気持ちよくなってきて、その後も嫌いな自分をぶちのめす気持ちで筋トレを毎日続けていたら、もう未来に絶望することもなくなっていたという流れもあるかもしれない。

いや、それはそうかもしれないが、人によっては、後で食べようと思っていた干し野菜や数年後に手に入れているはずの剛健な体、そういったものをガチのムチでどうでもいいと思わせるほどの圧倒的な絶望の原因となり得ることが起こってしまうのが現実なのかもしれない。

ということは、そのようなことが起こっていない今日、即ち絶望することなくひたすらにゴボウを切り、ジョギングを画策している今日は良い日であると断定し、長時間労働特化型納税奴隷の惰性的機能をもってして謳歌するしかないよね。

P.S.

だらだらし過ぎてもう夕方やんけ。

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