がらんどう散策

大阪梅田駅

これはどこかで耳にしたことなのだけれど、人間の9割以上が自分のことを平均的な人間よりも知能が高いと思っているらしく、仮にその言説が真であるとするならば、僕ら人間は実際以上に自分のことを買い被っているということになるのだけれど、それはそれで自己肯定感を維持できるという意味で良いことなのかもしれないし、他人を卑下しながら生きているという意味で良いことではないのかもしれない。

ここでは平均という意味を一般大衆という意味で捉えることにするが、今現在、自称先進国日本を根城にしている一般大衆は何をしているのかというとコロナウイルスに阿鼻叫喚し、外出の自粛をしている。家に引きこもり、パスタを茹で続けている。

大衆のことを愚鈍で頓馬であると思っている9割以上の自称賢者の人間であれば、愚劣な大衆の行動である外出自粛とは異なる行動を取るはずで、それは何かというと、コロナウイルスには憮然とした態度を貫き、従前通りの日々を送るということで、そうなるとどういうことになるのかというと、大阪の繁華街である梅田は自称賢人である9割以上の人で溢れ返り、いつも以上に活気で満ち満ちるはずなのだけれど、御多分に漏れず自称賢人である僕が先週末の休日に梅田に実施調査に行った際には、なぜか梅田はがらんどうであった。

これはどういうことなのか。

自称賢人の9割の人間は梅田が自称賢者で溢れ返ることさえも見越し、家でパスタを茹でることにしているのだろうか。周囲の人間の行動を先読みに次ぐ先読みした結果、自らが愚昧であるとみなしている一般大衆と同じ行動を取ってしまっている、みたいな感じのニュアンス的な塩梅の程度っぽい雰囲気のスタンスなのだろうか。

と、屁理屈遊びはここまでにして、上記でも触れたように先日は野暮用ついでに緊急事態宣言下の大阪を散策してみたのだけれど、ガチのムチでがらんどうであった。

軽い運動がてらに難波から梅田まで歩いてみたのだけれど、開店しているのは薬屋、靴屋、紳士服屋、うどん屋、牛丼屋、団子屋、弁当屋くらいで、あれはあれで新鮮な光景であった。

人口密度は近所のスーパーよりも全然ましで、うらぶれた地方都市の商店街を歩いている感覚に近く、同調圧力に屈し、変に無理して引きこもり、自室でパスタを茹でているくらいなら、いっそがらんどうの大阪や京都の街に飛び出して散歩するのもいいのかもしれない。

大阪や京都の街に足を踏み入れると、消費主義国家である日本に住まう人民の脳髄にインストールされた抗いがたい購買欲がのたうち回り始め、ついついホカオネオネの運動靴なんかを物色してしまう人もいるだろうが、不用不急の品を物色しようにも店が開いていないんだからどうしようもない。

それでも何か買いたいぽよ、どこか店は開いていないかしらん、という並々ならぬ購買欲と希望を原動力にすれば、シャッターの下りた店から店を巡り歩き、その結果、相当な広範囲に渡って散策を楽しむことできるかもしれない。

飢えた消費者ゾンビとしての彷徨。

面白そうである。

P.S.

パスタ食おう。

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