係員の物思い

見栄っ張りな係員

投稿日:2019年12月31日 更新日:

そう言えば、去年の今頃に僕は今の職場の内定を頂いたのだけれど、社会を舐め腐っていた僕の場合、それまで正規雇用の経験も皆無で、とにかく応募条件を満たしていたし、やっている事業にも少なからず興味を持てた、ただそれだけの理由で応募したところから内定をもらえて、その時は何だか信じられないというか、こういうこともあるのかーというか、人生なんとかなるなる鳴門海峡、といった感じでまぁとりあえず嬉しかった記憶がある。

それから入社するまでは釣りに行き、本を読み、酒を飲んで過ごしていた。

そのような怠惰な人間が労働を始めたわけなのだけれど、入社してから今日までの9か月間をとりあえず無事に過ごすことができて良かったなーと思っている。

一年前の自分と今の自分を比べてみると、諸行無常の力によってやっぱり違ってきているのだけれど、自分でこう言うのも恐縮だが、少なくとも一年前の自分よりも今の自分のほうが凡夫なりに少しはましなのではないかと思う。

そう思えるということは決して悪くはない一年間だったということなのだけれど、んじゃあ一年前のおめぇさんと今のおめぇさんは何がどう違うのでがすか、と『ドン・キホーテ』に出てくるサンチョ風に聞かれたとすると、んー、そうどすねー、とりあえず外見に少しは気を使える人間になったどす、と京風に答えると思うどす。

これはどういうことかというと、無職時代は国家と家族以外のどんな社会集団にも属していなかったため、外見に関して他者からどう見られるかということを意識することがほとんどなかったのだけれど、働き始めてからというもの、同僚や取引先の人間の視線に否が応でも常に晒され、ましてや一定数の異性とコミュニケーションを取らざるを得なくなるわけで、そうなるとどうせ見られるのであればかっこよく見られたい、という凡夫の煩悩の一種である虚栄心が刺激されて外見に気を遣うようになり、その結果、毎日髭を剃ったり、月に一回は散髪をしに行ったり、爪をこまめに切ったりするようになった。長年着古してクタクタになった洋服は処分し、新品の服を購入し、靴は週に一回磨くようになった。

外見を整えると気分がいいもので、元来出不精だったにも拘わらず、少しは外に出てみてもええのー、と思えるようになった。この気持ち良さはなかなか良いものなのだけれど、しかし、先述したように、外見に気を遣うためのエネルギーはどこから来ているのかというと虚栄心という人間における曲者の性質で、これを制御できなくなると「人に良く見られたい」という免罪符の下にありとあらゆる消費が正当化され、身の丈をわきまえない浪費家となり、全身ハイブランド人間となり、値段の高いものを身に着けていさえすれば恰好がつくという思いこみにはまり込み、つまりはある種の思考停止人間となり、気がつくとエポスカードの奴隷と成り果て、人生を外見・外聞のために空費してしまうという失態を犯しかねない。

人間が虚栄心から完全に脱却することは不可能で、みたいな感じのニュアンス的なことをパスカルも言っていたなー、と漠然と記憶しているが、仮にそうだとすると、人間のありとあらゆる活動には虚栄心というものが程度の差こそあれ必ず絡みついている、と言える。

これがゴータマ・シッダールタ先輩であれば、虚栄心なるものを滅却させる方向に舵を切るわけなのだけれど、僕は何せ凡夫。虚栄心を滅却させるなんてできるわけがなく、僕に残された方法は己の虚栄心によって人生を破滅させられないようにするにはどうすればええのかしらん、言い換えると、己の虚栄心とどのように付き合っていけばいいのかしらん、と疑問に思うことくらいで、つまりは決定的な方法は何もわかっていないわけなのだけれど、人間の活動の根底には虚栄心が少なからず関わっているということを認めた上で今自分がやろうとしていることについてしばし立ち止まって、ここにはどの程度の虚栄心がまとわりついているのかしらん、と考えてみると、今自分は見栄を張ろうとしているな、ということくらいは認識しやすくなるのではないかしらん。

とここまで書いてみて思い出したのだけれど、人が見栄を張ろうとしている時は、他人はすぐにそのことを見抜く、みたいな感じのニュアンス的なことをショーペンハウアーが言っていて、僕は、そうかもしれないなー、と思ったことがあったのだけれど、人から自分の虚栄心を見抜かれると、つまり、あのあんちゃん見栄を張ろうと頑張ってまんなー、と看破されると、やっぱり恥ずかしいし、嫌だよね。

だからさ、見栄を張るにしても他人に勘づかれない程度に張る、つまりは虚栄心をいい感じに抑制し、自分の体裁を最大限整えつつも、それは他人からは自然に見えるというギリギリのラインを狙っていこうよ、そうしようよそうしようよ。と書くのは簡単なのだけれど、具体的にどうすればそのギリギリのラインを実現できるのかはわからない。

とここまで書いてみて閃いたのだけれど、他人は自分が見栄を張ろうとしているのを容易に見抜くのであれば、自分も他人が見栄を張ろうとしているのを容易に見抜くことができるわけで、これを応用し、自分を他人に置き換える、つまりは自分をネバギバの精神で客観視すれば自分が見栄を張ろうとしているのかどうかは案外容易にわかるのではないか。だがしかし、とある己の行為を虚栄的だと認識したところで、その行為を行うのか否か、行うべきなのか否かの判断力についてはまた別の問題になってくるのかなー。

というようにこれと言って言いたいこともないようなことも書き連ねていくスタイルで来年もブログを気ままに書いていきたいと思います。

みなさまどうか良いお年を。

P.S.

少し前に、虚栄心から4000円の筆箱を買ってしまった。

びっくりした。

-係員の物思い
-

執筆者:

関連記事

父の死、無常。

先日、父が亡くなった。 1ヶ月前に急遽体調を崩して入院。 そして帰らぬ人となった。 まじで諸行無常。 僕は十代の頃に1人、二十代の頃に1人、計二人の友人をすでに亡くしているのだけれど、そういう経験から …

とある日の自殺体

とある一日のこと。 朝7時に起床し、顔を洗い、口をゆすぎ、コーヒーとトーストを準備し、朝食を済ませ、食器を洗い、歯を磨き、ひげを剃り、排便を済ませ、手を洗い、コーヒーをタンブラーに注ぎ、スーツに着替え …

暇に苦しむ人は奴隷

暇な時間、つまり何をやってもいいし何もやらなくてもいい時間に直面した時、自分が奴隷かどうかが明らかになる。 暇な時間を充実感に変えることができる人は奴隷ではないし、暇な時間を退屈だとして苦しむようであ …

僕は半年間で洗脳されたのか成長したのか。

働き始めてそろそろ半年になる。 働き始める前は2年間無職で、その間は旅に行っていたり、祖母の介護をしていたり、釣りをしていたり、家でぼさっとしていたりしていた。 そして労働を再開し、半年が経った今現在 …

とりあえず外に出てみることにする。

先週の平日は業務の都合上まるまる県外で過ごした。 その間に懇親会が2回もあり、元来初対面の人とのコミュニケーションが苦手な僕にとっては心労極まる一週間となり、帰宅した翌日の土曜日はほとんどを寝て過ごし …