とある日の自殺体

とある一日のこと。

朝7時に起床し、顔を洗い、口をゆすぎ、コーヒーとトーストを準備し、朝食を済ませ、食器を洗い、歯を磨き、ひげを剃り、排便を済ませ、手を洗い、コーヒーをタンブラーに注ぎ、スーツに着替え、髪を整え、弁当とタンブラーを鞄に入れ、靴を履き、自転車に跨り、いつも通り会社へゴー。

だんだんと寒くなってきたなー、手袋持ってないから買わんとあかへんのー、なんてささやかな物思いに耽りながら駐輪場へ自転車をとめると、そこから見える会社の出入り口の一つになんだか黄色いテープが張り巡らされているじゃんけ。

しかもそこには「立入禁止」みたいな感じのニュアンス的な物騒な文言が書かれているじゃんけ。

泥棒でも入ったのかしらん、やばいなー、と思い、へらへらしながら近づいていくと、そこには死体が横たわっていた。

一日の大半をミヤネ屋を見て過ごしているような脳髄が大手既成メディアにハックされファックされた人は信じてくれないだろうが、そこには死体があった。

大量の血液が地面を這い、遺体は真っ青で、マネキンのようだった。

テープの外側には課長が二人、腕を組んで立っているだけで、二人とも呆然とし、何も言葉を発さない。

とかいう僕も御多分に漏れず、一日の大半をミヤネ屋を見て過ごしているような脳髄が大手既成メディアにハックされファックされた人のようにポカーンである。

しかし僕は長時間労働特化型納税奴隷アンドロイド。胸のむかつきを覚えながらも事務所へと向かいPCを起動させ、いつも通り、ドブさらえのような事務作業に取り掛かった。ライフ・ゴーズ・オン。

とドラゴン・アッシュのように言えればいいのだけれど、僕はドラゴン・アッシュではない。

と話が少し逸れてしまったが、要するに僕は生ぬるい日常の中でゲリラ的に死体を見る羽目になったのだけれど、ガチのムチでびっくらこいた。

どうやら死因は自殺らしいのだけれど、その詳細は割愛させてもらうと共に、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りしたい。

人の価値を職業や社会的地位や給料額や預金額でしか測ることのできない人間ばかりの自称先進国日本で生きてこられて、色々ときつかったと思いますが、どうか安らかにお眠りください。

僕は医者や看護師、警察や消防士、葬儀屋や暴力団の方々ほどではないが、インドやネパールでの旅を通じて、また友人や家族の葬儀を通じて、その辺の凡夫たちよりは多くの死体を見てきたのだけれど、僕は死体を見ると、種々様々なネガティブな感情と共に一抹の安心感も覚えるんですね、これが。

これはどういった種類の安心感なのかというと、自分が立脚している大前提はやっぱり間違っていないんだという安心感で、その大前提というのは何かというと、僕らは必ず死ぬということ、そしていつ死ぬのかガチのムチでわからないということ、そして死というのは事故のように自分の外側からやって来ることもあれば、自殺のように自分の内側から湧き起ってくることもあるということで、僕は死体を前にすると、目の前に圧倒的な真理みたいな感じのニュアンス的なものがあるようで身の引き締まる思いみたいな感じのニュアンス的な思いがする。

んじゃあ、死体を前にして身の引き締まる思いみたいな感じのニュアンス的な思いをして僕がどう変わるのかというと、僕は特段何も変わらない。

それは僕が煩悩まみれの凡夫だからなのか、それとも以前の記事でも書いたように、やりたいこと(旅を思う存分やること)もやって、やるべきこと(人生最大の恩人である祖母を看取ること)もやって空っぽ状態になってしまい今死んでもこれといって後悔することがないからなのか(だからと言って死にたいというわけではない)、どちらかはわからないし、どちらでもないかもしれないが、まぁ、なんというか、あれだ、ライフ・ゴーズ・オンだ。

P.S.

今日の一曲。

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