ついつい買ってしまうもの

煩悩まみれの凡夫である僕にはついつい買ってしまうものというものがあって、それは本なのだけれど、なぜ本を読むのかというと、それはショーペンハウアーが『読書について』みたいな感じのニュアンス的な著作の中で宣わっているように、僕自身が思考力の欠落した欠陥人間だからなのだけれど、本の他にも必要以上に買ってしまうものというものがあって、それは靴なんですね、これが。

がらんどうの脳髄をフル回転させて記憶を遡ってみると、僕は小学生の頃から事あるごとに祖母と出かけては靴屋に行って、靴をねだっていて(買ってもらえることはほとんどなかった)、中高生の頃も靴へのこだわりは人一倍強く、小遣いを貯めては優先的に購入していた。

大学進学と共に実家を出て、東京で一人暮らしを始めると、バイトをしてストレスとお金をためてはコンクリートジャングル大東京で靴を買っていた。

そう考えると、大半の自称大人たちの行動パターンというのは労働をしてストレスとお金をためこんでは消費財につぎ込むというもので、消費財の質がただただことなるだけで、根本的な行動パターンはかつての僕のような中身がスカスカの大学生のそれと大差がないなー、というように話が少しそれてしまったのだけれど、上記のように事あるごとに靴を買っていると当然靴が溜まり、玄関が靴だらけになっちまいます。

けれども何らかの因果によって、僕は貧乏野宿旅をするようになって、そのおかげで自分が靴を中心とする衣服類を異常なほど過剰に持ち過ぎているということにようやっと気がついて、そのほとんどを処分した。すっきりした。

靴の量も服の量も増えないいい感じの状態が数年ほど続いていたのだけれど、またここ一年間で靴の量が増えてきた。服の量は変わっていないが、靴の量は増えてきている。つい先日も一足買ってしまったし、まじでやべー。

僕は決してミニマリストという高尚な自意識を持ち合わせているわけではないのだけれど、必要以上に靴を買ってしまっているということは明々白々で、それが具体的に何を意味するのかは分からないのだけれど、一つの可能性として、ようやくスカスカ大学生及び自称大人の行動パターンから脱却できたと思った矢先、図らずも同様の行動パターンに今現在嵌まりこんでいるかもしれない。

金とストレスをため込んでは消費活動により己を眩惑するだけの生活。

奴隷労働と気晴らしの無限ループ。

まじでやべー。

と、一抹の危機感を抱けただけでも良しとしようかしらん。

P.S.

今日の一曲(ばあちゃん子は泣ける)。

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