係員とカネ 係員の物思い

年金の前提を知れば、なぜ年金だけでは暮らせないのかがわかる。

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僕の友人に無職のやつがいるのだけれど、きゃつは律儀に年金を払っている!

僕が無職だった時は即刻全額免除申請を出して一円も払っていなかった。

僕は現在係員で、給料から年金を強制徴収されているため、払わないという選択ができない状態なのだけれど、仮に払うか払わないかの選択ができるのならば、楽勝で払わないと思う。

僕が上記の無職の友人に金がもったいないから全額免除の手続きをして払うのをやめちゃいなーと言っても、きゃつは一向に耳を貸そうとしない。

まぁ、無理強いするわけにもいかないので、僕はあっさりとあきらめたわけなのだけれど、きゃつと話をすると、その話の端々からきゃつが未だに「年金がもらえる」そして「年金で暮らせる」という前提に立っていることがうかがえた。ジーザス。

僕ら若年奴隷層はそもそも将来「年金がもらえる」ということすら危ういのだけれど、周囲の自称大人たちが「年金だけでは暮らせへんど、どうなっとるんや」とがなり立てている姿を見ると、僕は不思議でならない。

というのは、年金というはそもそもそれだけで暮らせるようには設計されていないからなのです。

よって年金だけで暮らせないのは当たり前で、どうして「年金だけで暮らせる」と思い始めたのかがわからない。

年金について定めた国民年金法という法律があるのだけれど、この法律は1959年(昭和34年)に制定された。

国民年金法は当時の社会情勢を前提に作られたと言っても過言ではないのだけれど、その社会情勢の特徴は「労働人口が多く、老人が少ない」とか「経済成長の余地が多分にある」とか色々あるが、その一つとして「老人は長男夫婦と一緒に暮らす」というものがある。

つまりどういうことかというと、「老齢に達した老人は仕事を引退し、衣食住に関する出費は一緒に住んでいる長男夫婦にある程度世話してもらう」ということなのだけれど、とは言っても、無収入のじいさん・ばあさんが家でゴロゴロゴロゴロして自尊心を摩耗させながら朽ち果てていく姿を見ているのもつらいので、ここは一丁小遣いでもあげて景気づけてやろうかしらん、はいこれどうぞ、外でどら焼きでも食べてきんしゃい、という文脈での「小遣い」が年金の役割なのです。

年金というのは端的に言うと子による盤石な援助を前提にした老人への小遣いであって、よって「年金=小遣い」だけで暮らしていけないのは当たり前なのです。

そして生活保護は年金とは異なる前提に基づき、それだけで生活できるように設計されているからこそそれだけで生活できるのです。

国民年金法が前提にしている当時の時代背景と今日の現実が乖離しているのは言うまでもなく、国民年金法が制定された当時の文脈を知らないで、盲目的に「年金で生活できる」と信じていると、騙された、と嫌な思いをするだけです。

僕は「年金だけでは暮らせない」と肝に銘じて、情けないことではあるが、今後の強制徴収に応じていこうと思う。

そして無職の友人には一刻も早く年金の前提の話をして、全額免除申請を真剣に検討してもらえるよう働きかけていきたいと思う。

P.S.

僕の年金に関する前提は「年金だけで暮らせない」どころか「年金もらえない」というものです。

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